「祇園さん」 三島市にあった「シオンの丘」

1月6日14:25公開のブログ、【『最後の審判』 歌手・米津玄師と重なる大預言者・イザヤ】を掲載し終えて、その夜にインターネットニュースを読み始めたところ、3日未明に西日本に落下した火球の落下地点を、5日に「日本流星研究会」が徳島県の剣山周辺に推定したという内容の記事(1/6(日)15:06配信・徳島新聞)を見つけたのである。私も日本のどこかに火球が落下したのは漠然とニュースで知っていたのだが、1月6日のブログ内の予言に書いた「剣山」という具体的な地名が、徳島新聞のニュースで報じられたことに驚き、自ら「フラクタルな歴史法則」の見えない網に捕らえられている現実を思い知らされたのである。

徳島県剣山の「みこし渡御」

剣山の「みこし渡御」は、旧約聖書の時代に、ダビデがエブス人から奪った新首都エルサレム(シオンの丘)に、移動聖所・「契約の箱」を移したことに因む考えられる行事であり、ノアの箱舟がアララト山に漂着したという7月17日(2012年から登山者のため、17日以後の最初の日曜日となった)に毎年執り行われている。また、京都の「祇園祭」やユダヤの「シオン祭り」も同じ7月17日であることから、祭事のルーツが旧約聖書の創世記・「ノアの洪水物語」に関係していることが理解できよう。

『旧約聖書』 ナツメ社より

そして、3日未明の火球騒ぎがあったその日、私はそんな騒ぎがあったことも知らず、弥生時代の徐福に繋がる伊豆の賀茂氏を調査しようと、初めて三島市の祗園山にある「賀茂川神社」へ初詣に行ったのである。

そこで見た畧誌看板には、なんと江戸時代までは三嶋大社と縁の深い「八坂神社」と称せられていた書かれていたのだ。八坂の神は確かに須佐之男命と書かれており、また、京都「祇園祭」の「八坂神社」と同様、創祀については不明であるが、どうやら大預言者・イザヤが縄文時代晩期に日本に持ち込んだと噂される「契約の箱」の実在を暗示する神社であったことは間違いなさそうである。

 

丘の上に建つ現在の賀茂川神社の敷地はかなり狭く、昔は背後にある東海道新幹線や市道あたりも神社用地だったのではないだろうか。この神社もまた、第二次世界大戦中に将来の高速鉄道のためと称して、権力者が破壊した歴史的価値の高い文化財の一つであったと思えてしかたがない。

神社境内に落ちていた大王松(だいおうしょう)の松かさ

1つぶの種が残っていた・・・。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

sixteen − 4 =