沼津市明治史料館に現れた古代イスラエルの王名

『八丈島の「六方積み」と古代イスラエル』というタイトルのブログを、ホームページに掲載し終えた日に、沼津市明治史料館で、考古学者 江藤千萬樹(ちまき)の企画展が開催されていることをインターネットで知った。

江藤千萬樹の名前から、「近江国・藤原氏」、「鶴は千年・亀は万年」、「生命の樹」などのキーワードが読みとれるため、「出雲大社」や「古代イスラエル」に繋がる人物ではないかと考え、さっそく明治史料館へ足を運んだ。

企画展が行われているフロアーには、多数の写真や書簡が展示され、薄暗く冷え切った館内にもかかわらず、江籐千萬樹に対する関係者の熱意や関心の高さが強く感じとれた。

そして、彼の生立ちを紹介するパネルに目を向けたとき、彼のクリスチャンネームである「ダビデ・江藤・チマキ」を見つけ、偶然にも、古代イスラエルのエルサレムを統一王国の首都とした王の名、「ダビデ」であったことに、驚きと共に得も言われぬ歓喜に満たされたのであった。

クリスチャンネームは、彼が生まれた米国・ワシントンの教会で神父が名付けたものであろうが、一般的な聖人の名前ではなく、奇しくも紀元前1,000年頃の中東に栄えたエブス人の町・エルサレムを奪取した古代イスラエルの王名であったのだ。

現在のイスラエルでは、やっとイスラム国を制圧したかと安心した矢先、アメリカのトランプ大統領が昨年末に、エルサレムをイスラエルの首都であると認定し、アメリカ大使館の移転を決定したため、中東という世界の火薬庫の導火線に、再び火を点けてしまい混乱に陥っている。

このような不穏な時期に、「ダビデ」という統一王国の王名が、高尾山古墳の近傍に建つ、沼津市明治史料館の企画展に現出した事実は、単なる偶然ではなく、八丈島の「六方積み」と古代イスラエルの関係を図形で表現した上記のブログと共に、自著『葛城コード』に書かれた「フラクタルな歴史法則」の存在を世に知らしめようとする、高次の意識による働きかけの結果と思わざるを得ない。

また、江籐千萬樹は幼少の頃まで敵国・アメリカで生まれ育った経歴の故に、皇国史観の信奉者であった軍司令部の軍人らによって、戦艦大和と同様に沖縄戦へ捨て石として送られ、国家権力の犠牲になったと憶測するが、一方で、大戦で生き残り、終戦直後の混乱した時期に国体護持を遂行するため、高尾山古墳の破壊を画策したと疑われる皇国史観考古学の中心人物の名前が、展示史料の中に書かれていたのは実に皮肉な話である。

そしてまた、沼津市の偉人・江原素六の名前からは、「江河中原」、「素粒子」、「六合」のキーワードが読みとれ、同じクリスチャンである江籐千萬樹と同様、「出雲大社」や「古代イスラエル」に繋がる人物であることは疑いようのない事実であろう。

 

旧約聖書の神「ヤハウェ」がモーゼに言った。

「わたしはある。わたしはあるというものだ。(わたしはなるであろうものになるであろう。)」

私は無神論者ではあるが、この言葉に神の存在を意識せずにはいられない。

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